『効率化がすべてではない』

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渋谷駅で大規模な工事が行われています。
私が渋谷に行った時には、ハチ公口方面から2階(?)の通路を通ってヒカリエ方面へ抜けることが多いのですが、現在、ここが仮設の通路になっていて、階段の位置や幅などが時々変わります。
先日ここを通った時、階段の位置が変わった直後だったのか、工事の方が拡声器で「この先、階段です!お気をつけください!」と、同じアナウンスを延々と繰り返していらっしゃいました。
確かにこのアナウンスはとても大事です。だって、少し前までは階段ではなかった位置が階段に変わっているのですから、いつもの感覚でなんとなく歩いていると(特にスマホなんか見ていると!)階段に気がつかず転倒してしまう可能性は大いにあります。
「それにしても、人間がずっとアナウンスを繰り返すのは非効率。交通整理のために人は必要だとしても、音声は録音したものを再生すればいいのではないか」
———最近、とにかく仕事時間を確保したくて仕方がなく、業務の効率化に力を入れている私はそんなことを考えながら、打ち合わせに向かいました。
打ち合わせからの帰路、また同じところを通りました。
「この先、階段です!お気をつけください!」相変わらず同じアナウンスが繰り返されています。
「うーん」と先ほどと同じく効率化のことを考えながら通り過ぎようとした時のこと。
「ここから階段になってるよ!狭いから気をつけてね!バイバイ!」
———アナウンスが変わりました。
振り返って見てみると、2〜3歳くらいの小さな女の子がお母さんと一緒に階段を下りるところでした。作業員の方は笑顔でその子を見ています。その子は、作業員の方に手を振っていました。
「ああ、こういうの、なんかいいな」と、素直に感じました。
今回のような子供と作業員の方の交流が無くなったからといって何か大きな損失があるわけではないかもしれないけれど、効率化を最優先にするあまり、このように人間らしさが表れるものまで削ってしまうのはとても寂しいですよね。
労働人口が減りゆく今、業務効率化は重要な課題であることは間違いないと思います。
でも、削らない方がいいもの、削ってはいけないものは必ずある。
そんな当たり前のことに改めて気が付くことができた、とても良い出来事でした。