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昔、祖父母の家の玄関に飾ってあった額縁の中にいくつかの言葉が書かれていて、その中の一つに「はじめから無しと思えば不足無し」というのがあった。

徳川家康の遺訓の中に「不自由を常と思えば不足なし」というのがある。
祖父母の家の額縁の中の言葉は、家康のこの言葉をアレンジしたものなのか、あるいは、実際には「不自由を常と思えば不足なし」と書かれていたのを、当時子供だった私に祖父母がしてくれた解説を私がそのまま覚えているのか・・・今となっては定かではないけれど、とにかく私は、時々この言葉を思い出しながら生きてきた(そのわりには、不自由であることにすぐ不満を持つけれど)。

かれこれ2ヶ月になるこの自粛生活で、特にこの言葉を思い出す頻度が増えた。

ジムに行きたい。
外食したい。
カフェに行きたい。
映画館で映画を見たい。
友達と会っておしゃべりしたい。
オフィスでみんなと仕事がしたい。

今まで当たり前だと思っていたことが制限されるのは本当にストレスだけれど、今までが贅沢で幸せすぎただけだと思うと、「我慢させられている」感じが少し和らぐ。

1日3食を作り続けるなんて無理!と思ったし、実際最初はかなりきつかったけれど、それも、外食やテイクアウトの便利さを知ってしまっているからなだけかもしれないと思うと、まあこんなもんなのかなと思うようになった。

もちろん、このいろいろな「贅沢」は、昔の人たちの努力による技術や文化の結果であるし、その贅沢を利用できるというのは、自分たちの努力によってもたらされているもの。
だから、贅沢は敵、ではないと思っているし、昔の人たちに感謝しつつ贅沢を楽しめばいいと思っているけれど、今のこの自粛生活のストレスを軽減するには、「はじめから無しと思えば不足無し」と心の中で繰り返すことはとても有効だと思っている。

それこそ江戸時代の人たちの不便さなんてこんなもんじゃなかっただろう。
外食はしづらいけれどUberEatsだってあるし、オンラインだけど人の顔を見て話もできる、テレビ、ネット、電子書籍・・・暇つぶしにもさほど困らない。オンラインのエクササイズもあるからやろうと思えば運動だってできる。
コロナ前ほどではないけれど、「はじめから無しと思えば不足無し」と思えば、この状況だって十分に贅沢なのだ。


小沼 光代

株式会社フラップのシャチョーをしています。